この世界には、伝説がある。
悲しい血の色に染まった伝説が。
楓珠《フウジュ》大陸は、その伝説が強く残る大陸だ。
世界には三大陸あり、楓珠《フウジュ》大陸は世界で唯一の研究所、克主《ナリス》研究所が大陸を治めている。
克主《ナリス》研究所の君主は若い。若干、二十歳。
名は、忒畝《トクセ》。
彼は、前君主の息子だが、彼が克主《ナリス》研究所の
君主になったのは、世襲によるものではない。
前君主である父、悠畝《ヒサセ》は世襲を嫌い、継いで間もなく
その通例を排除している。
楓珠《フウジュ》大陸の気候は、他の二大陸と比べれば温かい。それは、かつて神々が調和をとっていたとされる地域があるからだと言われている。
楓珠《フウジュ》大陸の略、中央部に位置する神如《シンジョ》。天界の調和が乱れた時、最大の神を守っていた女神、女悪神《ジョアクシン》が堕りた地だと言い伝えられている。
神如《シンジョ》は、克主《ナリス》研究所からも近い。――克主《ナリス》研究所の南東に協会は在る。そこから克主《ナリス》研究所の森に入る手前辺りを示す地域の呼び名が『神如《シンジョ》』だ。
克主《ナリス》研究所は伝説の『女悪神《ジョアクシン》』を封印したと言い伝えられている塚が近い。克主《ナリス》研究所からは、塚が見える窓がある。
白緑色の髪とアクアの瞳。――これが『女悪神《ジョアクシン》』の血を継ぐ者の特徴だ。
『女悪神《ジョアクシン》』の血は『四戦獣《シセンジュウ》』伝説と共に根絶されたといわれている。
『四戦獣《シセンジュウ》』の伝説については、多くの記述は残っていない。
四人の『獣』と化した女悪神《ジョアクシン》の血を継ぐ娘たちが、人々を襲いだしたということ。
その四人が『四戦獣《シセンジュウ》』と呼ばれ、それを封印したのが、克主《ナリス》という研究者だったこと。
克主《ナリス》研究所は、克主《ナリス》の功績を称え、「克主《ナリス》研究所」となったこと。
このくらいだ。女悪神《ジョアクシン》の血を継ぐ娘たちを祭りたてた事もあったというのに、実に少ない。
命こそ落とさなかったが、生まれ持った血故に、彼は身体に不利な点を抱え生まれてきた。
発育が遅い忒畝《トクセ》を、悠畝《ヒサセ》はあたたかく見守った。
忒畝《トクセ》は、父の背中を追って君主になった。
『女』しか『力』を受け継げない為に、この神は『女神』しか存在せず『女悪神《ジョアクシン》』という。
しかし、忒畝《トクセ》は男性だ。
克主《ナリス》研究所は、創立六百年を迎えたばかり。
『四戦獣《シセンジュウ》』伝説も、六百年前の出来事と考えれば、当時の記述が多く残っていないのは、当然かもしれない。
だが、何故か白緑色の髪とアクアの瞳を持って、忒畝《トクセ》は産まれて来ていた。妹もまた――。
その時には、既に忒畝《トクセ》は自分の運命を知っていた。
あれは、君主代理の試験を受けようと決めた、十四歳の頃だ。
忒畝《トクセ》には、長い間、恐れる存在があった。
まだ忒畝《トクセ》も幼い頃、母の腕の中で眠る可愛い妹を覗き込むんでいた時だ。
ふと、誰かの視線を感じ、顔を上げた。
すると、窓の外から大きく見開かれたアクアの瞳があった。母と自分を遠くから見つめるような異質な瞳の持ち主は、変形した『獣』のような姿だった。
「どうしたの?」
母の声が聞こえた。
母は忒畝《トクセ》の頭を撫でると、そのまま抱き寄せた。
そのぬくもりで恐怖を消そうと、忒畝《トクセ》は目を瞑った。母には何も言えなかった。自分には特殊なものが見えただけだと思った。
だが、その日を境に、異様な存在の気配を感じる事が増えた。
そして、数ヶ月後。
「今度会った時は……私を殺して。ごめんね、忒畝《トクセ》」
という言葉を残し、母は姿を消した。
五歳の時、苦しくて目が覚めた。目の前には、あの異様な存在の顔があった。
異様な存在は、忒畝《トクセ》の首を絞めようとしていた。しかし、忒畝《トクセ》が起きた事に気が付くと、不敵に笑って消えた。
それから、異様な存在の視線を感じる度に、忒畝《トクセ》の恐怖は、日に日に募った。だが、幼い彼に逃れる術は無い。
母には、何かがある。
忒畝《トクセ》は気が付き始めていた。髪と瞳が物語るものを。
自分に流れる血の忌々しさを。
「母さんを……知っているの?」
異様な存在は、母を『刻水《トキナ》』と呼んだ。
母は――『聖蓮《セイレン》』という名で、父は呼んでいた。
「刻水《トキナ》の事か。母を恋しがるとは、まだまだ幼いな」
そして、あの日、彼は見た。
「お母さん、ありがとう」
「悠穂《ユオ》が、居なくなったかもしれない」
「その、凄く純粋なところ」
克主《ナリス》研究所が保管していた、
『四戦獣《シセンジュウ》』の記録簿を。
「時は、止められない」
「ねぇ、二人は何作ってるの? 花冠?」
「私は昔から聞いてる忒畝《トクセ》の……その声が好き」
「はい。これで、お父さんと同じ瞳の色よ」
「駄目ですよぅ。お姉さまは、本当に綺麗な方なんですから。」
「遅かったな、忒畝《トクセ》」
「あぁ……何だか、感激しちゃった」
「あ、驚かせてしまいました……よね。ごめんなさい」
「伝説の『四戦獣《シセンジュウ》』が……ですか?」
「もう少し、一緒に居てもらっても……いい?」
「あー! やっぱりそうだっ」
「何の事だ?」
「これで、役者はそろったか」
「この、叶う事のない望みを断ち切るがいい」
「ったく、バカヤロウだ。お前は」
「誄《ルイ》姫」
「嘘じゃないさ」
「望みを捨てるのは、僕だけでいい」
『幸せな家庭』、『幸せな家族』
彼は、望みを捨てた。
しかし、彼は幸せを放棄した訳ではない。
彼は知り過ぎた。失う切なさを。
彼はこの『一見同じことが繰り返されているだけ』の空間の儚さを知っている。
平凡に過ぎていく毎日を幸せだと思っている。
「そうだね。きっと、やさしい夢になる」
こんな事は、単に僕の我儘だ。
本当は
こんな事をしたい訳ではなかった
発動された『女神』“回収プログラム”。『願い』を抱え堕ちた者と、『使命』を担って降りた者達。彼らは長い『時』に身を委ねた。
過去生から現世へと時を経て、『神』と称えられた血筋は『伝説』と姿を変えた。静かに眠り続けた筈の『女神の血』。
彼らの『願い』と『使命』は果たされるのか。翻弄されながら進むその先には――。
「身の余る言葉を頂け、光栄です。喜んでお受け致します」
彼の奥底では、深い雪は降り続けている。
その光景の中で、彼女の偽りの言葉は繰り返される。
女神回収プログラム
──完結まで、ゆっくりお楽しみ下さい。